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仕事のために田舎ぐらしを決意して。都会から田舎で暮らした僕が感じたこと

こんにちは。赤から和気インター店の三富です。

前回は、誰もがつい漏らしてしまう「言い訳」についてブログにしました。
前回のブログ:仕事中につい言ってしまうその発言、まずいかも? 言い訳をしてしまう自分と向き合う」

今回は、都会で約20年間生まれ育ち、渋谷石油で働くために岡山に引っ越して1年間暮らしてみた僕が感じた、田舎の良さをブログにしました。

僕は都会と田舎の両方で暮らした経験があるうえで、仕事をするなら田舎で暮らすほうがいいと考えています。先日、赤からに来たお客様の鍋の〆を作っている最中、こんな会話をしました。

お客様「あんた、見ない顔だねぇ。どこから来たん?和気?」

僕「いや、僕は実は東京生まれなんです。」

お客様「東京!?そっから引っ越しでこっちで育ったん?」

僕「いや、生まれも育ちも東京なんです笑」

こういう会話をすると、だいたいこんな反応が返ってきます。

「東京から岡山へ!?なんで!?」

「こっちなんもないじゃろぉ~不便じゃねぇか?」

一般的に田舎は不便で、都会は便利というイメージがあります。
就職でも、田舎から東京に引っ越すことはあっても、東京から田舎に引っ越すこと人は少ないのではないでしょうか。僕もこちらで暮らしてみる前は、都会のほうが便利だと思っていましたが、実際に暮らしてみて考え方が変わりました。

  • 田舎に暮らしてみたいけど、今の暮らしから慣れていけるのか不安な方
  • 今の実家で暮らすことに違和感を覚えている方

の役に立つきっかけになれたらうれしいです。

では、まいりましょう!

意外と暮らしていける?
岡山の田舎に引っ越した僕の生活

生まれてから大学卒業まで東京で暮らしていた僕は岡山での生活なんて想像できませんでした。

自転車で十分遊びに行くことができるし遠出は電車があればどこでも移動できる。ちょっと歩けばコンビニもあるしいつでも街灯がついていて夜も問題ない。そんな生活から、岡山の東部の和気郡にある佐伯で暮らすことに。免許は一応持っていましたが、取ってから一度も運転したことがなく、3年ぶりの運転になります。

「大丈夫なんかなぁ…」
そう感じていました。

最初のころは・・・

「自転車があれば遊びにも行けるし買い物にも行けたのに、ここじゃ車がないとどこにも行けん…」

「電車に座って寝ていれば遠くにも行けたのに、運転しなきゃいけないから本を読んだりすることもできないし疲れる…」

と、不便さを感じていたかもしれません。
しかし、徐々に慣れてきた自分がいました。

僕の場合は、東京にいたころは興味のなかったスーパー、コインランドリーを探し始め、それまで本屋やゲームセンターに行っていたのを、通販で本を買い、家で本を読むようになりました。

むしろ、都会では人込みの中を移動する分息苦しさを感じていたり、次の電車が間に合うか不安で小走りしていたりと、ばたばたしていましたが、岡山での暮らしは自分のペースで運転できるので、のんびり移動できていました。

意外と、なんとかなるものなんです。

ただ、車の運転にはかなりてこずりましたが。笑

何もないからこそ、何かが生まれる

田舎で暮らす人のほとんどの方が車で移動するように、僕も移動のほとんどを車で済ませるのですが、ごくたまに散歩をすることがあります。

散歩をしていても、虫や風の音が鳴っているぐらいで、あとは「しーん…」としています。
風景も街灯がないので、真っ暗な景色が淡々と続いているだけ。

都会では考えられないことでした。
深夜でも外は明るく、車が通っていて音がして、虫の音なんて何一つ聞こえてきませんでした。ただ、何もないからこそ、自分の中で何かが生まれる感覚があったんです。

外の景色を見ながらゆっくり歩いていると
「今の自分は、何を考えていて、何を感じているんだろう」
「今日は、うまくいかなかったなぁ」
「母さん、元気にしてるかな」
そんなことが、頭から降ってくるんです。

何もないということは、裏を返せば余計なものがなにもないということになります。余計な情報が入ってこない状態で、僕は自分の思考を整理していることに、散歩していて気付いたんです。

仕事をしているときは、どうしても成果を出す必要があります。
仕込みを早くしたり、お客様に貢献したり、日ごとの目標を達成したり。

上司やお客様の「こんなことしてほしい!」という期待に応えられなかったり、うまくできない自分を認めたくなくて、ふてくされた態度を一喝されたりする中で、どうしても「今日はもうがんばれない…」と思ってしまいます。逃げ出したいけどそれでも頑張らなきゃいけない。そんな状態がいつまでも続く人はなかなかいないんじゃないでしょうか。

そんな自分の本音を吐き出してくれたのは、最初は不便だと思っていた、田舎の何もない環境でした。

大事なのは捨てること
手放すことで初めて分かった大切なこと

学生時代、僕はとにかく自分に投資することに注力していました。
とにかくセミナーに行って、本を読んで、意識が高い同期の人と話をして、自分の中に何かを吸収し続けていました。

でも、岡山に住むことになって、セミナーに行く機会はほぼなくなり、本を読む時間も少なくなりました。同期と話すこともなくなりました。

自分のなかで吸収するものが、仕事以外なくなってしまったんです。最初はすごい虚無感を感じました。

「自分はこのままじゃだめなんじゃないか」
そう考えていました。

しかし、いろいろなものが自分からなくなっていくと感じる中で、それでもなくならないものがあったんです。

セミナーや本で知ったことを吸収する中で自分のなかであった変な価値観が剥がれ落ち、
「ほんとうは、自分はどうなりたいのか?」
と、考えることができるようになりました。

そして、周りとの関係がなくなったからこそ、今でも連絡をくれる友人や母親のありがたさがわかったような気がします。

飾り気のない本当の自分で生きるためには、多くのことを捨てる必要があった

田舎にきて、多くのものを失い、時には自分から手放したからこそ、本当に大切なものに気づけたのではないかな。と僕は思っています。

周りからの評価や、凝り固まった価値観を意識しているうちに、本当の自分はなんなのかを見失っていました。正直、今でも見失う時もあります。そんな中、“三富椋太”として生きるために大切なことを気づかせてくれるのが田舎暮らしでした。

連休ぐらいしか実家に帰れないからこそ、何度も連絡をくれる母親に対して感謝の気持ちが生まれました。きっと、東京で暮らし続けていたら気軽に会いに行けるぶん、気づくことはなかったでしょう。

都会の雑音や人込みから離れ、多くのことに時間を取られることがなく虫の声を聴きながらぼーっとすることで、自分は今、何に苦しみ何に喜んでいるのかを実感できています。

多くのことを捨てる中で、それでも「これだけは譲れない!」と思える何かは、意識しないと気づくことはなかなかないけど、他の誰でもないその人として生きるために必要なのかもしれませんね。

ではでは

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この記事を書いた人
三富 椋太
Mitomi Ryota
ホール/調理
著者:みとみん