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岡山の田舎暮らしブログ④

こんにちは渋谷石油のプロパンガス部門の渋谷です。
田舎に住んでいて、いつも見ている風景に心が癒され、人との出会いで色々なことを教えて頂いています。
そんな日常を皆様にも知ってもらいたいと思って、私の実家が在る和気町をご紹介します♪

今回は、ブログ①の最後でご紹介した天神山城跡に登ってきたのでご紹介します。

天神山城跡とは!

先ず、天神山城について軽くご紹介します。
この城を築いたのは、岡山を代表する戦国大名の一人、浦上宗景〈うらがみむねかげ〉ですが、城の存続時期については諸説があります。最近の研究によると、築城が天文23年(1554)頃、落城は天正3年(1575)と言う説が有力視されています。
この天神山城を拠点として勢力を伸ばした宗景は、天正元年(1573)に織田信長〈おだのぶなが〉から備前・美作・播磨三か国の朱印状を与えられるまでに勢力を伸ばしましたが、そのわずか2年後に家臣であった宇喜多直家〈うきたなおいえ〉に攻め立てられ、天神山城も落城しました。その後も宇喜多直家はしばらくこの城を使用していたようで、各所に見られる石垣や瓦はこの時期のものと言われます。

天神山城のルート

登山ルートはいくつか有りますが、今回は「和気美しい森」から上りました。

和気美しい森はキャンプ場にもなっているので、駐車場も有りますし、登山の難易度も一番楽なルートだと思います。

和気美しい森も門をくぐって左奥に行くと鉄柵があるので、柵は自分で開けて入って行きます。

入って直ぐに石門、軍用石などが出てきます。

投石用の石?にしては大きすぎて投げられない大きさの石ばかりでした。

更に進むと!

太鼓の丸城と書かれた看板を発見!
読んでみると、旧天神山城って書かれていました。
旧?旧天神山城があるということはもちろん新天神山城があるって事?
と、思っていると、倒れた看板を発見!

看板が大きかったので写真は2枚になりましたが1枚の看板です。
看板を見てみると、前期天神山城跡と後期天神山城跡が書いてありました。
この時初めて知ったのですが、天神山には2つの城跡があるんですね。
ここが旧天神山城跡の本丸かぁ~♪と思いながら看板を見ていると、本丸はいつの間にか通り過ぎていました。

後期天神山城跡に向け更に奥へ!


石門の看板があり、その先は・・・写真では分かり辛いかもしれませんが、先が見えないほどの傾斜なんです。
何とか下ってこの後は後期天神山城跡!

後半は後日ご報告します♪
皆様のご意見お待ちしています。

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この記事を書いた人
渋谷 昌史
Shibuya Masafumi
ガス部門
著者:まさふみ