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ゲームの特徴から見る、平成と令和の違い

こんにちは!赤から和気インター店の三富です。
年末年始の忙しさもすっかり通り過ぎ、いつもの日常が戻ってきました。

年末の牡蠣フェアもありがたいことにたくさんの方に喜んでいただけました。1月からはもつ鍋フェアに切り替わり、こちらも「今年も食べに来たよ~」と楽しみにしていた方も少なくないようです👀

さて、今回は
「ゲーマーが感じる、平成と令和の違い」についてブログにしてみました。

世代が変わるにつれて流行っているものから“そういうもの”という認識までガラッと変わるように感じていますが、特に令和はそれがかなり激しく変わっているイメージがあります。Instagramやtiktokなどの配信アプリが流行したことで、誰でも発信できる世の中になったことが特に大きいのかな~と思っています。

もちろん、遊ぶ人が増えたり技術の進化などでゲームのジャンルや特徴も変わってきています。

2025年11月に【カービィのエアライダー】というゲームが発売されましたが、このゲームは2003年に発売されたゲームが元になっています。
昔を懐かしみながら遊ぶ中で感じたことを書いてみました。

1人で遊べる娯楽から、人とつながり競争する遊びに

みなさんは「ゲームが好きな人」と聞いてどんな人を思い浮かべますか?僕が子どもの頃は、
・家で静かに遊んでいる
・たくさんの人と遊ぶのではなく、1人や、決まったメンバーと遊ぶのが好き
・どちらかというと暗い、オタクのようなイメージ
そんな感じでした。
当時のゲームは、1人で遊ぶか、家族、家に来た友達と遊ぶぐらいでした。

今では、オンラインサービスが充実したことにより、むしろ他の趣味や娯楽よりもたくさんの人とつながることができるものとなりました。なんなら、オンラインで遊ぶことを想定していないゲームの方が少ないかも?
遊ぶ端末も、当時はDSやPSPなど持ち運びできることが価値につながる時代でしたが、今ではスマートフォンで遊ぶ方が増えたことから“場所を選ばず楽しむことができる娯楽”として浸透してきました。

人とつながることができるということは、お互いに比較しながら遊べるということでもあります。
攻略情報を教えあったり、より高難易度なミッションをクリアしたことを自慢したり。プレイヤー同士で対戦して勝敗を競うゲームも令和では人気なように見えます。(実際、シューティングゲームのAPEXが若者の間では一番人気だそうです。)

1人で遊ぶものから、どこにいても、どんな人とでも遊べるものへと進化していったもの。それがゲームなのかもしれません。

グラフィックが進化して映像がさらにきれいに!一方で…

僕が遊んでいたゲームは、
・ドット絵や2Dイラストなど、平面上でキャラクターを表現しているもの
・3D映像な代わりに、キャラクターの画質は少し簡素なもの
の2パターンのものがほとんどでした。ハード機のスペックも平成ではそこまで高いものではなく、ゲームプレイのテンポ感を損なわないため、画質は控えめなものが多かったような気がします。
ストーリーがゲーム上で提示され、その中で決まった道筋をたどりながら道中のミッションを試行錯誤してクリアしていくものが平成のゲームでした。

ところが令和では、広大なゲーム世界をプレイヤーが自由に行き来し、まるでそのゲーム世界にいるかのように感じられる“オープンワールド型”のゲームが主流になりました。3D映像でもクオリティが高いまま実現でき、ゲーム映像を俯瞰的に見るタイプのゲームではなく、一人称視点で楽しめるゲームが増えました。ハード機のスペックが全体的に上がったことにより、ゲームの楽しみ方そのものが変化していったのです。

では、昔のゲームは映像がきれいでなく、プレイしていてストレスを感じるのでしょうか?実はそうではないと僕は思っています。
たしかに、映像は今のゲームと比べると表現方法が少ないかもしれません。ですが、ドット絵や2Dイラストなど、制限された表現方法ならではの美しさもあるのではないかなーと。
ゲームシステムも、対戦要素がなかったり、シンプルなミッションになっているからこそ“ゲームを通して成功体験や試行錯誤の大事さ”を感じることについては、昔のゲームの方が優れている面もあるのかなーと感じています。
新しいゲームが出る中でも、あえて昔のゲームを遊んでいると、当時の思い出を懐かしんで「こんなボスいたなー」「あー、子どもの時もここでつまづいてたわ!」なんて振り返ることもできますね。

楽しみ方が増えたからこそ大事な“自分軸”

オンライン通信やグラフィック向上で、たしかにゲームの楽しみ方は増えたかもしれません。ですが、それによる弊害もあるなーと最近思っています。
人とつながる、競争できるということは、逆に言えば、今までは一人で黙々と遊ぶことができていたものが、否応なしに比較されるということです。学校や塾のテストで、自分は満足のいく点数を取れていても、勝手に全員の点数が掲示されていて自分が最下位だとなんかモヤモヤしますよね”(-“”-)”

今でも遊んでいるスプラトゥーン3では、プレイヤー同士で数値化された実力を競いあう特性があります。強い人は偉い、というふうに思っている人も一定数いるように見えています。
高いスコアを出すために上手い人とやりたい!この人はちょっと…みたいな感じで人間関係が複雑になったり、オンラインでマッチングした味方に対して「この人上手くないから嫌だ!」と苦言を吐く人でSNSが荒れたり、逆に、明らかにクリアを妨害する行為をしてふざける人と遊ぶ羽目になったり。オンライン通信によって「楽しくゲームを遊ぶ」という本来の目的が阻害されることもあるのが令和のゲームだなと。

グラフィック向上によりゲームの表現が増えたことはたしかにうれしいのですが、ゲーム内での処理落ちが発生したり、そもそもハード機やソフトの値段も比例して高くなっていることも事実です。僕が子どもの頃はほしいゲーム機を買ってもらえて家族で遊べていましたが、今はどのハード機も5万以上することが普通になってきました。

楽しみ方が増えたからこそ、「自分はどんな楽しみ方が一番合っているか」を考えると、ストレスなく遊べるかもしれませんね。

ではでは。

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この記事を書いた人
三富 椋太
Mitomi Ryota
ホール/調理
著者:みとみん